2009年12月14日

伝説の巨匠*米津春日



朝比奈*ヴォントがなくなって、ブルックナ−が死んだといっても過言ではない。確かに今年聴いたブロムシュテットのブルックナ-は名演だった。しかし、両巨匠の残した名演には及ばない。あれほど、伝統美にもとずいた美しいブルックナ-を知らない。クラシツクの世界では、ブルックナ−は死んだままである。しかし、フランス料理の世界では、まだ、ブルックナ−は現存する。 その美しき伝統美を構築する巨匠が存在するのである。米津春日である。日本に残された最後の巨匠のひとりである。マエストロの作り出す料理は、ブルックナ-が作った後期の傑作交響曲7番や8番を聴くのと同じ価値がある。それほど偉大である。これほど伝統的フランス料理のあるべき存在をこだわる料理人を私は知らない。首尾一貫徹底的である。マエストロの料理を味わうことは、朝比奈やヴァントのブルックナ−を聴くのと同意語である。一音一音かみ締めて聴かなければ、ならない。それは、今生きていることの喜びであり感動である。深遠な偉大な芸術作品を味わうのと同じで、真摯に5感を使って味わなければならない貴重な料理ばかりである。毎年マエストロの作る料理を食べれることが生きる喜びのひとつとなって、もう何年になるのだろう。時を超えて存在する超越の時間である。今年も食べれたことに、素直に感動。
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2009年12月13日

ジピエあれこれ

グルメミートショップ
私はジピエ料理が好きだ。ジピエには、深い思い入れがある。フランス料理の醍醐味のひとつである。冬場しか楽しめないものであり、この時期が待ち遠しい。ジピエにはたくさんの思い出がある。今まで、いろんなジピエを食べてきた。山鶉*真鴨*きじ*森ばと*雷鳥*野うさぎ*つぐみ*鹿*猪*やましぎなど。それぞれ色々思い出あるが、その中で、ヤマシギがとりわけ好きで、多い年には,1ヵ月だけで6羽食べた時もある。やましぎを含めて、色々な思い出をつづってみたい。一番印象の残るやましぎから書こう。なぜならやましぎは、ジピエの王様であり、ジピエの象徴的存在だからである。やましぎは、フランスでは、禁猟であり、イギリス*スコットランド*ベルギ-から入荷される。肉質は、繊細だが内臓は特有のくせ*こくがある。頭部にとんがった長いくちばしがある。脳みそも食べられる。さて、料理である。ノ−マルな料理法としては、ロ−ストして、サルミのソ−スで食べるやり方である。ヤマシギの内臓を加えることで、ソ−スに特有のコクがうまれる。濃厚なソ−スだが、繊細な肉質に特有の風味与えるという意味では、無難な組み合わせだろう。しかし、肉質本来の旨みを引き出すという点では、むしろロ−ストチキンのごとく、肉のジュと油だけで、肉にそれをかけながら時間をかけて、旨みをひきだす方法がやましぎ本来のうまさがでて美味だ。この方法は、シンプルだが、キュイソンに、神経を使いシェフのセンスが要求される。レストラン*べカスで何度も、この方法の料理で、感動したことか。ロ−ストしたやましぎを赤ワインソ−スで食べる方法も悪くないが、いい赤ワインを使うと、よいマリア−ジュが得られて至福だ。1961年のペトリュスやフィジャクを使用したソ−スで食べたやましぎのロ−ストは、絶品だった。そのほか、印象に残った方法では、トリュフ*トランペット*モリ−ユなど、6種のきのこ類とス−プ類でフォアグラノのム−スとやましぎの内臓をまぜたものに刻んだトリュフをやましぎの腹につめたものを煮込んだものをココット風にしたものは、最高にうまかった。ふたを開けた瞬間、さまさま゛なきのこの香りが森の香りになって昇華する。繊細な味の肉質に、濃厚で官能的なトリュフを中心とした香りと、弾力のあるきのこの旨みに色々な味がしみこんだ複雑な味のス−プがひとつのハ−モ二−になって複合的な旨みとなって食べ応えのある味わいとなった。最高に印象の残った一品。森バトでは、ト−ルモンドで食べた料理が印象的だった。森バトとファグラのム−スをりんごのチャツネと和紅茶のエスプ−マで食すのだが、森バトの濃厚の血の風味のフアァグラム−スの味わいとやや甘めのチャツネと繊細な紅茶の見事なバランス。なんともいえないうまさだった。蝦夷鹿のロ−スト*赤ワインソ−スも見事だが、つけあわせのカカオパウダ-が新しい味覚の発見で蝦夷ジカの別の魅力を引き出していて美味。雷鳥は、くせのあるあじわいでジピエ好きには、たまらない。これもサルミソ−スが定番の組み合わせ。冬場になると、あれこれどんなジピエ食べようか苦悩するが、それもまた楽しみのひとつである。
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2009年12月10日

伝統的スタイルと革新的スタイル



ポ−ル*ポ−ギュ−ズがヌ−ベルキ−ジュヌをはじめたとき、フランス料理界では、素材よりもソ−スが重要視されていた。料理の極意は、ソ−スにあった。悪い素材であってもソ−スが好ければ、すべての問題は、解決された。ある意味、ソ−スが命だった。その結果きわめて濃厚で重厚なソ−スが重宝がられた。うがったみかたをすれば、素材の悪さをソ−スで誤魔化せた。素材の吟味も重要ではなかった。バタ-や生クリ−ム*砂糖をふんだんに使う非健康的な料理が、大きな流れだつた。ポ-ギュ−ズたちは、それに異をとなえ、素材を生かした健康的なフランス料理を作り出そうとした。コペルニクス的転換である。そこでは、素材を生かした軽いソ−スが要求された。素材を生かす以上その吟味が重要視された。鮮度のよさが、最重要課題だった。それは料理人たちに、何がいい素材かみわける能力を身に着けることが不可欠とした。言い換えれば、素材がすべてだった。素材を生かすため、軽いソ−スが要求された。また、健康的という観点からバタ−*生クリ−ム*砂糖の使用を控えようとした。素材が中心でソ−スはあくまでもそれを生かす脇役的存在にすぎなかった。彼らは、そのヒントを和食に求めた。印象派の画家たちが日本の浮世絵に影響受けたように、彼らもまた日本の和食に影響うけた。古典的スタイルから近代的スタイルへと変わって言った。その流れの中で現代がある。現代の若い世代は、より軽くよりヘルシ-でシンプルでスピ-デイな食のスタイルへと変化している。それにあわせたようにフランス料理のスタイルも変化しつつある。薄味*低カロリ-わかりやすい構成力への変化である。たとえば、ス−プにおける、バタ−*生クリ-ム*砂糖の不使用である。また、ジピエの熟成の否定である。癖のある特有の臭みを嫌がりあまり熟成させず、調理しようとする。あるいはジピエの存在そのものを否定しようとする。この流れからすると、ジピエ料理すらなくなるかもしれない。旧世代にとっては悲しいことだが、これは現実である。大きな変革がちかずいていることは、確かだ。
posted by かおる at 21:51| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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